全国各地のコミュニティオーナー/マネージャー
“シタテビト”へインタビュー

コミュニティをつくる上で一番最初にやることは「エゴ」を共有できる場所を持つ

モデレーター

みずの けいすけさん

愛知県瀬戸市出身。フリーランスのコンサルタント。2006年明治大学政治経済学部卒。広告代理店でのプランナー勤務を経て、株式会社マイナビに10年勤務。その後、note株式会社で3年。のべ500社以上の情報発信をお手伝い。法人のメディア運用やSNS活用法のアドバイスを行なっている。

ゲスト

稲田 佑太朗さん

1988年生まれ、宮崎県延岡市出身。高校を卒業後、県外の大学に進学、臨床検査技師の資格を取得する。故郷である宮崎へUターンし、7年間、臨床検査技師として務め、医療現場で様々な人の死に直面し“生まれてきてよかったと思える社会を実現する”ために県職員を退職。「自分と繋がり、今を生きる人を増やす」をテーマに地域に必要とされる人財育成に携わることを決め、活動を続けている。参加者の内発的動機づけや交流促進を得意としており、好評を得ている。
東京など都市部在住で地域に興味関心がある人や、UIJターンを考えている人、新しい働き方を模索している人を対象とした、起業家精神の醸成を目的としたコミュニティ「ローカルシフトアカデミー」を運営している。

みずの:地域のコミュニティで継続的、持続的に社会課題を解決する仕立て人の皆さんにお話を伺う番組「Tailors」です。本日のモデレーターを務めます、みずの けいすけでございます。

さて後半戦となりますが、宮崎県新富町で活動をされていらっしゃる「ローカルシフトアカデミー」の稲田 佑太朗さんに、引き続きお話を伺っていきたいと思います。よろしくお願いします!

稲田:よろしくお願いします!

臨床検査技師から人材育成の道へ進んだきっかけ

みずの:稲田さんには前編の記事でも色々なお話をお伺いしました。特に、コミュニティ参加者の皆さんに寄り添う姿勢であったり、見守る振る舞いであったり。そういったことは凄く実践しやすいポイントであるし、とても効果も出やすいところなのかなと思いながらお伺いしておりました。引き続きよろしくお願いします!
稲田さんのご経歴ですが、元々宮崎県が出身でいらっしゃいます。その後、医療現場の臨床検査技師をされていらっしゃるのですが、今となっては人材育成というところまで手掛けられています。この辺りの転機について教えていただきたいです!

稲田:臨床検査技師を簡単に説明すると、血液や尿の成分を検査する人ですね。僕がちょっと特殊な臨床検査技師でして、「病理診断科」というがん細胞等を診断する先生のもとで、標本を作る仕事をしていました。
僕の転機は、病理検査で亡くなった方を解剖する「病理解剖」をしていた時です。僕は病院でお亡くなりになった方のお腹を開けて臓器を取り出す、頭を開けて脳みそを取り出すみたいな、亡くなった後のご遺体を解剖するという仕事をしていました。
35歳くらいの男性のご遺体を解剖したことがあり、当時28歳の自分の人生を照らし合わせて、「あと7年後に亡くなるとしたらこのまま臨床検査技師を続けるのかな」と思いました。その問いに対しては「YES」と答えられませんでした。
自分がこれまでやってきたことは無駄になるけれども、中学校の頃は人に勉強を教えるのが好きだったこともあり、人に伝える仕事がしたいと思って、30歳で人材育成ないし教育の方に意を決してキャリアチェンジをしました。

みずの:周りに止められなかったんですか?

稲田:公務員の県庁職員だったので、親にはアホかと言われました。友達にも止められました。そりゃそうだよなと(笑)だけど、県庁時代に色々なビジネス書を読んでいて、逆に公務員でいる方が不安だなと思ったんですよね。
もし定年が70歳まで延びたとして残り40年間のうちは、僕は大きな船に乗ることよりも、サーフボード一枚で波に乗れる技術を付けることの方がよっぽど安定だな思ったので辞められました。
もちろん親には事後報告して、結果的には「あんたのやりたいことはそれだったのね」という風になりました。

みずの:勇気のある決断という風にも感じますし、一方で、それを決断したきっかけが凄くスペシャルなシーンだったわけでもないことも印象に残りましたね。検査技師というと、月9ドラマ「朝顔」ではまさしくそういうお仕事をする登場人物がいましたよね。
ちなみに、Uターンのタイミングは、大学卒業後だったんですか?

稲田:そうですね。大学卒業後に宮崎県に戻ってきて、そのまま宮崎県で就職しました。
キャリアチェンジを決断するきっかけとしてはもう一つありまして、僕の人生のメンターになっている女性経営者の方に言われた一言が指針になっています。僕は「ゆうちゃん」と呼ばれていたのですが、「ゆうちゃん、これから人生に凄く迷うし、これからいろんなことを選択していかなきゃいけないと思う。だけど、あなたが50歳になった時にどんな顔でいたいのかということだけを考えて、これからの選択をしなさい」と言われたんです。
「自分はイヤイヤ仕事をするよりも、大変だけど楽しい仕事をしていきたいな」という想いを持つようになり、その女性の方が僕の背中を押してくれましたね。

みずの:まさにメンターというか、背中を押された感じですね。素晴らしいな。
退職のタイミングとしては、ある程度お仕事が形になってから退職されたんでしょうか?

稲田:いえ、漠然としていましたね(笑)ビジネス書を読んでいたので「自分は営業できる、マーケティングできる」と勝手に思っていました。社会をプールに例えると、泳ぎ方は本で覚えたけれども、周りの人には僕が溺れているようにしか見えないという状況でした(笑)
そんな中、溺れているのを笑う人もいれば、溺れているから「面白いな、こいつ」と思って、手を引いてくれる人もいるんですよ。「捨てる神あれば、拾う神あり」じゃないですけれども、何かがむしゃらに自分でやってみたら、誰かが面白いと思って手を引っ張ってくれたというのはありますね。

みずの:面白いですね〜!

退職後、最初のアクションと学び

みずの:退職されて、 最初に取り掛かったことはどんなことでしたか?

稲田:僕が教える勉強法で生徒の成績が上がるのかを確かめるために、最初の2ヶ月間は学習塾にいました。これまで英語で50点も取れなかった生徒が、僕が2時間教えた後の中間テストでは78点を取ったんですよ。ただ、次の期末テストで同じくらいの点数を取れるかというと、そうはならないんじゃないかなと思っていました。今回限りの1回の成功でしかないので、次は怠けてしまってまた50点付近まで下がるかなと。
でも、その生徒が教えてくれたのが「1回の成功体験で自分自身の常識が変わる」ということです。期末テストの前に僕の所に来て、「僕は昔の自分に戻りたくないから、もう1回勉強を教えてください」と言われて、期末テスト前に勉強を教えたら80点を超えたんですよね。
それだけ「人の成功体験って自分自身の殻を破れる機会があるんだ」ということは、中学生の彼が教えてくれました。2ヶ月間の中で大きな経験ができましたね。

みずの:面白い!そういう向き合い方は、稲田さんの姿勢として現状のコミュニティの活性化に繋がっていると思いますし、今も存分に発揮されていらっしゃると思います。

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